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唐橋を制する者は、天下を制する!

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唐橋を制する者は、天下を制する!

こんにちは!

カフェジンタ オーナーの小野です。

先日、瀬田唐橋が語源となった有名なことわざ「急がば回れ」について、記事を書いたのですが、この瀬田唐橋は要所ということもあって、歴史的エピソードがわんさかもりです。

「急がば回れ」語源は、瀬田の唐橋だったんです

こんにちは! カフェジンタ オーナーの小野仁士です。 「マスター!地元愛が強い~!」 以前、関西テレビの名物番組「よーいどん!」の取材があって、ロケに来てくださった、吉本新喜劇の酒井藍ちゃんからのコメントです。 撮影の中で、カフェジンタが所在する、瀬田唐橋についてのエピソードを何個かお話してた時にも ...

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日本の歴史に深く刻まれた「瀬田唐橋」。

日本の国家体制が大きく変化するときに、幾度もこの橋をめぐる攻防が繰り広げられました。

今回は、この地でどんなドラマが繰り広げられたのかについて、かいつまんでお話しします。

瀬田唐橋と歴史の舞台

瀬田唐橋は、古くから京の都と東国を結ぶ交通の要衝でした。

そのため、ここを制することが戦略的に非常に重要で、多くの戦いの舞台となりました。

さっそく、瀬田唐橋にまつわる歴史を見ていきましょう。


壬申の乱(672年)

大海人皇子

大海人皇子

この戦いの決定的な場が、瀬田唐橋でした。

大友皇子軍は橋板を外して防御を固めましたが、大海人皇子軍がこれを突破し勝利を収めます。

その後、大友皇子は自害し、勝者となった大海人皇子は天武天皇として即位しました。

この勝利は、唐橋を制することで掴まれたと言えるでしょう。

ちなみに、手塚治虫が晩年に描いた代表作「火の鳥 太陽編」では、この壬申の乱を取り入れ壮大な物語を楽しめます。

是非、一緒に楽しんでみてください。


恵美押勝の乱(764年)

藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)は、藤原仲麻呂(恵美押勝)が孝謙上皇と道鏡に対抗しようとした反乱です。

この際、仲麻呂は瀬田唐橋を押さえようとしましたが、先回りした孝謙上皇側に橋を焼かれてしまいます。

その後、仲麻呂は逃走中に捕らえられ、敗北。

唐橋がその命運を分けたのです。

ちなみに、この乱の背景にある問題が、今現在の皇統に関する議論の的となっている「皇統の継承」問題でした。

道鏡という皇統ではない人物に皇位継承がなされてしまう、今に伝わる日本の伝統を巡る争いだったのです。

かつてはこのように皇統を守るため、命をかけた戦いが繰り広げられていたということです。

この乱がどのようなものだったのか、その結果どうなったのか、今なされている議論「皇統継承問題」について考えるとき、とても参考になり考えさせるエピソードですよ。


治承・寿永の乱(1180~1185年)

治承・寿永の乱、通称「源平の戦い」では、木曽義仲軍の今井兼平と源頼朝軍の源範頼との闘いにおいて、瀬田唐橋で攻防が繰り広げられました。

今井兼平は防衛のために橋板を外すという策で対抗しましたが、最終的には敗北。

敗走した兼平は義仲と合流しましたが、義仲が粟津で討たれたのを追って、自害しました。

この戦いでも、唐橋が戦略の要所として登場しています。

源平の争乱で平氏を京の都から追い出した木曾義仲を討ったことで、源頼朝は天下人へと登りつめました。


承久の乱(1221年)

承久の乱は、後鳥羽上皇が、強権化しすぎた鎌倉幕府から実権を取り戻すことを画策し、討伐の兵をあげた戦いです。

情勢は幕府側に優勢で、幕府が京に近づいてきます。

そうして、瀬田川をはさんで、東西の軍勢が瀬田唐橋で攻防を繰り広げられました。

この戦いでも朝廷側が橋板を外す策をとりましたが、幕府軍が豪雨による増水をものともせず渡河し、朝廷軍を破りました。

その結果、幕府がさらに権力を強固にするきっかけとなりました。


山崎の戦い(1582年)

山崎の戦いでは、本能寺の変の後、明智光秀が安土へ進軍する道中、瀬田唐橋で足止めをくらいます。

瀬田城主の山岡景隆が光秀の勧誘を拒否し、瀬田橋を焼き落としたためでした。

この時、光秀には大軍を渡らせる船がなく、結局3日かけて橋を架け直しました。

この遅延が光秀の命運を決し、秀吉による「天下取り」への一歩となったのです。


唐橋を渡ることで、あなたの「天下」を制しませんか?

エピソードには書きませんでしたが、武田信玄も疫病に臥した床で、「瀬田の橋に風林火山の旗を立てよ。」と語ったと伝えられています。

瀬田唐橋はただの橋ではありません。

歴史の流れを変えてきた「天下の舞台」なのです。


伝説の大百足退治

瀬田唐橋には戦いだけでなく、藤原秀郷(俵藤太)が大百足退治の伝説もあります。

瀬田の地で、大蛇に化けていた竜王の化身からの頼みを受け、三上山の大百足を弓で倒し、竜宮に招かれたという話は、英雄譚として語り継がれています。

この伝説もまた、瀬田唐橋が特別な場所である証です。


瀬田唐橋から、新たな一歩を

「唐橋を制する者は、天下を制す」。

瀬田唐橋が日本の中心(頂点)を目指すに、避けられない要地であったに他なりません。

日常の中で、毎日のように私もこの橋を渡っているのですが、こうして記事に書いてみると、なんとも言えないノスタルジーと、そして将来に向けて、色々と考えるいい機会になりました。

今、世界は激動の時代に入ったと言われています。

国内外のニュースに触れていると、日本にも変革の波は確実に押し寄せてきていると、感じます。

再び、瀬田川に住まう竜王の化身が大蛇となって現れる日が来るのかもしれません。

大切なことは、変革の時代だからこそ、しっかりと未来に目指すものを見据え、明るい展望をもつことだと思います。

歴史の節目を繋いできたこの橋を渡ることで、あなたの未来に新しい可能性が見えてくるかもしれません。

ぜひ、一度足を運び、その歴史と景色を感じ、そしてあなたの未来を見つけに来てみてください。

 


 

瀬田唐橋に関する記事はこちら


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